渋谷 1225




 道玄坂のガストは満席で入れなかった。二人はそのまま渋谷駅の方に向かって下り始める。12月25日、午前3時。寒々とした夜だった。計画性というものに乏しいふたりにとって、普段のコースで一泊するにはあまりにも混雑した夜で、ふたりはこの深夜過ぎの渋谷の路上にはじき出されてしまっていた。

 道々の過剰な装飾が、彼女をさらに苛立たせる。
「クリスマスなんて、嫌いだよ」
「何、いい思い出無いの?」
「どうでもいい」
 彼女は鼻をすすった。吐く息が白く、彼女の眼鏡をさっと曇らせる。
「家まで送る?」
 彼女は答えずに歩き続ける。
 巨大な広告が貼り付けられたトラックが後ろから通り抜けていった。こんな夜中に、誰に見せたくて走っているのだろうか。それともクリスマス・イブだから?
 彼がふと口にした。
「面倒くさい、な」
「うん、もう、別に無理して帰りたくないよ、今日は」
 どうせ家には、ふたりとも電車を乗り継がなければ辿り着けないのだ。

 下った先にあるロイヤルホストも満席だったので、ふたりはその下にあるファミリーマートでもう少し時間を潰しにかかる。しかしそれも長くは続かず、結局ふたりは、再び駅に向けて歩き出した。
 マフラーを巻きなおす。男のほうをちらっと見る。考え事をしているように目を伏せている。
 彼女は一瞬空を仰いで、また頭を元に戻した。
 瞳が強調された気持ち悪い少女の広告を横目に過ぎる。
 センター街の周りには、同じく建物の中からあぶれた人間がここかしこでうろうろしていた。駅前まで来て、ふたりは次の計画がまったく無いことに気がつく。そこで自然と、ふたりは特に申し合わせた訳でもなく、恋人達の喧騒を避けるように山手線沿いを歩き出した。過剰な明かりが次第に遠くなってゆく。面白みのない道路に出た。通り過ぎる車の後ろから排気ガスがもうもうと黒いコンクリートの上を滑っている。
 いま何時だろうか。彼女は携帯電話を取り出そうとして、やめた。よく考えたら何時でもいいのだ。一方の彼は腕時計を確認した。まだまだ夜明けまでは時間がある。

 次第に渋谷の中心地を離れ、原宿方面の閑散とした道に出てくる。道路を挟んで向かい側に、ネオンの消えかけた看板の掛かる汚れた建物が見えてきた。
「もっかい休む?」
「もういい……歩きたい」
 彼女は振り向かずに呟いた。彼は静かに頷いて、そのままゆっくりと道沿いを進んでいった。すぐ隣で彼女が、終電を過ぎた山手線に目を向けている。時がのろのろと過ぎてゆく。出来るだけゆっくりと、ふたりは歩き続けた。
 真っ暗の代々木体育館を通り過ぎ、原宿駅を通り過ぎ、さらにその先へと、ふたりは線路沿いにゆっくりと進んでゆく。時々思い出したようにハンドバッグを振り回しながら、彼女はそっと考えていた。
 既に時間は午前4時を回っている。寒くて寒くてしょうがない。眠たくはないが、まるで眠たいような、ちょっとした恍惚。

 このまま歩いたらどこまで行ける? この山手線の先には原宿があって、その先には新宿があって、池袋があって、上野があって、秋葉原があって……。そして最後には、このまま渋谷に戻ってきてしまう。やっばぁ、どこにも行けないじゃん。でも、それがいいな、どこにも行けないのが。そうだよ、どこにも行けないままでいい。このまま夜がずっと続いて、ガストもロイホもラブホも通り過ぎて、ぐるぐるこの東京を回り続けちゃうのが。線路の上にも乗ってみようか? その先にある踏み切りから入ろう。スタンドバイミーごっこをしてみるんだ。そういえば先週、フジテレビに出ていたな。AIとJUJUに挟まれてた、あの歌を歌う老いぼれジイさんが……。
 しかし、結局、このふたりにそんな度胸など、ないのだ。

 新宿駅に着く頃には既に陽が昇っていて、電車も動き始めていた。改札口の前の人影はまだまばらだ。彼はICカードを取り出した。彼女は切符を買いに券売機に並んだ。
 よし、こんなのはどうだろう。緊急地震速報でも鳴ってしまえばいい。今から東京に今度こそ大地震が起きて、今夜通り過ぎてきたものぜんぶ……休憩1時間ならとかホザいた渋谷のラブホなんか全部倒れちゃって、目の前の改札がこちらに向かって崩れてきたら、その時――、彼はすぐに飛び出して、私をかばってくれるのだろうか?
 無意味だな、と彼女は思った。そんな小説みたいな事が起きることを空想するのすら虚しいし、万が一そんな瓦礫が自分たちの上に降り注いだなら、かばう間もなくふたりとも、一緒に潰されてしまうんだろうな。

 早朝の新宿駅。

 なぜだろうか。
 今夜歩き続けてきた風景が、妙にくすぐったく感じられた。

「明日も一緒にいて」
 彼女のその唐突で消えそうな声を、彼は聴いているような、聴いていないような表情で振り返った。
 寒さが心地よい朝だった。