バッテリー




 正午を回り、照り付ける光はますます激しさを増して男の背中に突き刺さる。三十代前半だろうか、ワイシャツのボタンを三つも四つも空けて、男はコンクリートの道路の上をよろよろと歩いていた。この暑さで男の車のバッテリーがオーバーヒートしてしまい、止む終えず、車から3キロも離れたスタンドへと急いでいたのである。灼熱の中、男は無防備なほどの軽装で――この砂漠の、ど真ん中を、一本の直線道路を挟んでどこまでも広がる、この広大な砂漠を進んでいた。風の音、そして自らの呼吸しか聞こえない不気味な静寂に包まれながら、男はひたすら直進する。ちらりと腕時計を確認した。この腕時計には、男の現在位置情報を元に目的地までの距離や所要時間などを計算してくれる機能が付いている。かなりの年代物だったが、男は未だにそれを使っていた。単に愛着が湧いていただけだが。

 その腕時計によると、目的地までの所要時間はまだ1時間近くもあった。軽く舌打ちをする。スタンドに着くまでに、こっちが暑さで参ってしまいそうだ。太陽は相変わらず照りつける。雲もほとんど無かった。男は無言で、ただただ前方に伸びている直線道路を睨んでいた。

 ふとそこへ、静寂の砂漠に三つ目の音が侵入しようとしていた。後方から車の走る音が聴こえる!決して十分に舗装されているとは言い難い国道にガタゴトと響かせながら、一台のトラックがこちらへ近づいて来ていた。何しろ見通しが良い場所だ。一本道に立っている人影を早々に捉えたのだろうか、減速を始めたトラックは男の目の前で止まると、窓側へ身を乗り出しながら若い男が顔を出した。

 「何かありました?大丈夫ですかぁ。」

 訛っているが、愛想の良い声だ。

 「いえ、バッテリーが上がっちゃって、替えの奴を向こうのスタンドまで買いに行くところなんです。」
 「スタンドって、どれくらい先?」
 「1時間もかからないとは思うんですが・・・。」

 事情を説明すると、男はその若い運転手のトラックに乗せてもらえることになった。車の中は冷房が効いていた。頭痛がするほどに心地良かった。

 その若い男は、西へ野菜を運んでいる途中だという。街までの最短ルートが砂嵐で塞がれてしまい、今はこの迂回ルートを通って来ているそうだ。

 「この道はそんなに車通ってませんよねぇ。何となしに地図の上で選んでもうたんだけれども、こんなにスイスイ行けるなら掘り出しモンかもしれんね。」

 そう言って若い男は笑う。

 「それより、こんなに直射日光が当たる場所で歩いてきたなんて、あんまり身体に良くはないんとちゃいますかね?」
 「あ、いや、一応車の中でクリームは塗ってきてたし、このワイシャツもズボンも紫外線に強い奴で。」
 「いや、いや。近頃の太陽光は強力だって話ですよ。それほど長い間歩かれたんなら、後で一応健康診断も受けてみたほうがいいと思いますね。ウチの兄貴も皮膚ガンやったんで。」
 「・・・・」
 男は自分の腕を見る。まだ汗で光っている。指でそれを軽く抓ると、左手に見える外の風景に目をやった。ごくごく遠くに何かが霞んで見える程度で、あとは何もない砂の海だ。本当にこの車がきちんと前へ進んでいるのかどうかすら、つい勘違いしてしまいそうだった。

 「わいがこの仕事を始めたのは十六の時だったんですけれども、それからの十年位で電気自動車のバッテリーはホントに手に入りにくくなりましたなぁ。単価もどんどん上がってますし、その店にちゃんと置いてあればいいでしょうけど。」
 「実はエンストした場所のすぐ反対方向にも無人のスタンドはあったんですが、そこにはバッテリーが置いてなくて・・・。」
 「あー、やっぱりそうですか。高くつくけど、会社からは街でまとめ買いするように言われてますねぇ。」

 男は、年中黄砂に包まれている寂れた街を思い出した。ガラス張りのビルが立ち並んではいるが、割れてしまった窓をダンボールで乱暴に塞いでいる様子も度々見かける。頻繁に停電する上に、あらゆる道という道が慢性的に薄い砂に覆われていた。黄ばんだ薄暗い街を蠢く、人々と車と砂埃――。

 反対車線から別のトラックが走って来ていた。接近する。若い男が軽く右手を挙げた。相手の運転手も掌で挨拶する。助手席には若い女性が乗っていた。ヒッチハイクだろうか。フロントガラスの上部には、遠い東の国の地名が書かれた名札が付いている。砂を巻き上げながら、トラックは私たちの視線から消えていった。

 目的地だったスタンドには無事到着した。男の車のバッテリーも店に置いてあった。若い運転手に礼を言って別れると、今度はスタンドの店員の軽トラに乗せてもらい、エンストした車の場所まで戻ることになった。
 こちらは終始無言でただただ走る。手元にあるバッテリーの側面を何となしに撫でながら、男はフロントガラスの先を見ていた。先ほどは背にしていて見えなかったが、こちらからはあの山がはっきりと見える。砂漠の前方に聳え立つ巨大な山は、この荒れ果てた大地では一際目立っている。あの山こそが今の私たちのシンボルとも言えるものだった。周りの山が吹き飛んでしまった時にも、あの山だけは平然とその場所に残っていたという。あの山に近づいてくると、ああ、目的地も近いのだなと、男は思ったりする事もあったのだ。

 そうだ、あれこそが、かつて富士山と呼ばれていた山だった。











あとがき
プロット自体は「交差点にて」や「大運動会死刑」の頃には既に存在していましたが、完成度の関係でずーっとお蔵入りしていたものを、今回大幅にリライトしました。中学校の頃、国語の先生にこれを見せたら、「何だか猿の惑星みたいね」と言われて、あの映画の最大のネタバレポイントを知ってしまった思い出があります。